昔好きだったひとの話をする

 
昔好きだったひとが死んでしまう夢を見た
 
ので、一日中悪寒に苛まれていた。ひとが死ぬ夢は嫌いだ。憎くて憎くて仕方ない奴なら構わないのかもしれないけれど、生憎わたしはそのひとを憎んでいない。憎んでおけばよかった、でも今更どうすればいい。指先は血が通っていないように冷たいままだ。感覚のなくなった両手でやり場もなく文をしたためている。
 
特別な思い出が遺っているわけではない。だってもう何年前の話だ。まだ世間から見てわたしたちは子供としか言いようがなかった。子供としか呼ばれないわたしたちの世界は狭い。あの子たちの世界は自分がいるところで完結してしまう、あまりにも管理され行く先を制限され自らの身を自分では守れないあの子たち。子供なのだから仕方ないともそれが子供なのだとも言えるけれど、だからこそその世界に明日を見出せなくなることを心の底から恐れる。
 
小さな世界は何よりも純粋に輝くからそのきらめきの陰で絶望している子供たちがいることに大人は気付かない。誰かに相談しなさい大人に助けを求めなさい、それはいつだって大人が言うことだ。子供を助けるのはいつも子供、子供のヒーローは子供。すごく低い確率で『子供の心を持った大人』に出会えることもあって、それは最高に幸せなことだ。大人の持っている力を、子供の考えのために振るうことができるから。でもわたしは出会えなかった。子供のような大人はたくさんいたけれどやっぱり大人だった。子供は自分のことだけを考えていればいいから羨ましいとのたまうばかりで、誰もが繰り返される日々を憂うことに必死だった。みんな子供を輝かしいものにしておきたいのだ。子供はいつだって明るい未来だ、当の子供の感情はさておいて。
 
わたしのヒーローはあのひとだった、今でもそう思う。まあおよそヒーローとはかけ離れた雰囲気だったとは思うけれど、わたしはそのひとに勝手に救われて勝手にそのひとを好いていた。涙の乾ききった目で映したヒーローの姿をよく覚えている。恋と呼ぶにはあまりにも信仰じみていたかもしれない。わたしは何かに縋ろうとしすぎていた。縋る思いが恋情に変わり喉を焼いた、わたしはただ好きだと言葉にすることしかできなかった。他のことは何も言えなかった。ヒーローの前では、底抜けに明るくありたかった。こんな塵芥のような人間だということは悟られてはいけなかった。
 
堰が切れたようにそのことを話してしまったのがもう半年近く前のことだ。
ヒーローは寡黙で、ただわたしの話を聞いていた。わたしは居たたまれず何度も謝った。その度にヒーローは、別にいいよ、と言った。訊いてほしいならこっちから訊く、言いたいなら言えばいい、と言った。その言葉がないとわたしが続きを話せないことを知っているみたいだった。その優しさが辛かった。だってどうしたってわたしはひどい態度をとっていたのだ。暴走した感情できっと何度も傷つけたろう。あのひとは何も言わないから知る由もないしわたしが思い込んでいるだけかもしれない、それでも合わせる顔がない。すべてはわたしの我儘だったのだ。それなのにヒーローはずっとヒーローでいてくれたじゃないか。そのヒーローを、わたしは、夢の中で、死なせてしまった
 
おかしい。未だに全身が震えている。
なにかが起こってしまわないだろうか。怖い。どうしてか現実味を帯びた夢だったのだ。駅で偶然出会いすこし話して、そこから先は、書きたくない。
なんだこれは、わたしにどうしろというのだ。懺悔か。今更だろう、あのひとが今どうしているかなんてどうやって知ればいい。
解放されたい。
赦されたい。
戻りたい。
なのに、涙が出ない。