えっへっへ
気づいたら文化祭が目前で、そりゃあ陽が落ちるのも早いわけだと思う。いつまでも夏の名残が消えずに急に夏日になったりしていたけれど、もうそれもおしまいだ。また来年にならないと夏は来ない。
生きていれば、来年は来る。来年はやがて今年になりそして去年になる。わたしが来年を「去年」と呼べる日が早く来てほしい。
ひとりで延々と地道な作業をしなくてはいけなくて、それでも集中することができないから間にいちいち別のことを挟む。不甲斐なさすぎてうっかり剃刀でグイッといきそうになったのでセントジョーンズワートをまた消費したけれど、なにをしてもダメな日はあると思う。わたしは毎日それだ。
作業に没頭するのは元々好きで、やっていて楽しいことならいくらでもできていたのだが最近は本当に何をしてもすぐ折れる。死ぬのかもしれない。
文字を読むことも時折ままならないくらいだ。目が滑って何度も同じ行ばかり読んでしまい、相当意識しないと次の行に移ることができなかったりする。
そんな状態でもお腹はすくし明日もまた学校に行って定時まで部活に励む。幸せの形をなぞる。
まあ、幸せなんだろう。客観的に見れば充分幸せな環境にわたしは身を置いているはずだ。
ただ「しあわせ」というぼんやりした概念の外側に棲むなにかが、わたしの日々を殺していく。「しあわせな日常」という括りから外されてしまった不遇な感情たちが、毎日を蝕んで少しずつ融かしていく。
どうしようもない。どうしようもないから仕方なしにぬか床などを掻き回す。適当なことで得体の知れない怪物をごまかしながら生きていくのがきっと普通の人間で、わたしはそれが上手くできていないのだろう。何をしていてもあらゆる負の感情がつきまとう。色が消えたように世界が恐ろしい。
恐ろしいのは一体何なんだろう。悲しいのは、虚しいのは、その正体は一体何だろう。やっぱり姿のわからない、掴めないものなのか。
見えないほど透き通ったものに散々惑わされてわたしは泣いているんだろうか。だとしたらもう世界のことを一生憎もうと思う。
まあ とにかく
25くらいで死ねたらとわりと本気で思っていたのだが「死なないでください」と言われたので生きるしかなくなってしまった。
たったひとりでも、だれかが望んでくれれば、命くらいは繋いでおける気がする。そういう気持ちを愛と呼んでいたいと思う。愛くらいは、そういう素材でできていてほしい。シンプルなシステムにのせて、温もりの根源として愛を扱っていたい。
たった一言さえ、なにかの理由になることはある。
月曜日は本当にもうずっと苦手だけどよく考えたら「明日」が苦手なのだから1年365日すべてが辛い。かえって清々しい。
それでも望まれるなら、生きようと思う。えっへっへ。死にたいけど。