器用不器用意気揚々

 

折り紙がめちゃめちゃ下手くそなんですよね。得意そうって言われるんですけど全然形にならないし裏の白いとこはみ出すし歪むし散々です。余計な折り目ばっかり増やしてしまう。千羽鶴をみんなで折ることにも加われなくて、なにかを祈ることにすら向いていないのかなと思いました。そしてわりとそれは正しいことだったように思います。

 

誰かのために祈ったり誰かのために願ったりすることがまるでできなくなってきてしまいました。昔からそんなに得意ではなかったけど、祈られることが苦手なように祈ることも苦手なのかもしれない。わたしについて何らかのことを祈らせてしまうのは申し訳ないと思うし、『それは何のつもりだ』という感情さえ仄めく。簡単な構造の感謝ができない、だから100%超えで地獄に堕ちる。ちゃんと死ねたらの話ですけど。

 

身内中から嫌われている親戚がいて、もう亡くなってしまったんですけどあれほど疲れる葬式はありませんでした。葬式には終えた後ものすごく心が軽くなるものと重たくなるものの2種類あると思っていますが、あれは後者。かなりメチャクチャなひとで愛したいものを勝手に愛して捨てたいものは省みず捨てるみたいなひとでした。ひとりぼっちでズブズブの暮らししてたので時間の問題だろうみたいなことをみんな言っていたら本当にその通りで、わたしはその日の晩窓を叩く音を聞きました。何度も強く窓が叩かれて、朝には消えてしまった。彼はわたしに異様な執着を見せていたので、最後にわたしに会いに来たのでしょう。わたしが小さな頃生まれて初めて切った髪の少しを、お棺に入れて持っていかせたことを思い出しました。わたしはそのひとが嫌いでした。

葬儀の後にはみんなでお寿司を食べました。

 

嫌いな誰かのために祈ること、全然できなかったなと思います。別れの形ほど正解の見えないものはなくて、どんな別れでも、何度シミュレートしてもしなくても、それは結局なにかしら後悔が残るものなのでしょう。わたしは誰かのために鶴を折ることが出来るのか、そういうことの証明のために折り紙と向き合っているんですが、15cm四方の黄色の前でさっそく死にたくなっているので二度と見たくないなと思います。