探せ!重心!

 

安っぽい牛乳寒天は好感度が高い

 

それまでの生き方を忘れてしまうことはよくあって、それだけ毎日生きることに必死なんだろうなと思います。昨日の自分はもう自分ではないので、昨日の夜中死にそうだなあと思いながらアイロン台の前で気持ち悪い笑い声を上げていたのはろにかではありません。昼過ぎに起きてきて図書館に本を返しに行ってまた眠り続けていたろにかが本物です。何が違うのかってそれはもう決定的に違うのです。昨日なにを考えていたか昨日どういう意味で何をしたかぜんぜんわからない、わからないから今日以降が本物で昨日までは嘘なんですけど明日になれば今日も嘘です。それでいいです。

 

確かに愛している子がいて、愛は重心を攫っていってしまうので毎日ふらふらしています。いろいろなことが絶対にだめで、だめなことに挑もうとしているので似合わないなあと思いながら泣いたりする毎日になってしまいました。

グズグズな日々を過ごしているのは別にいいというか今更何をっていう感じですけど、なんか絶対にだめなんですよ。こんな何者にもなれないしまともな暮らしのできない奴が重心攫われて死にかけてるとかただただ面白いだけだし、そんな奴がなにをできるってなにもできないんですよ。

西日を反射して赤くなってしまったベランダを見て、こうやって世界は終わっていくんだろうなと思いながらモンキーレンチを握っています。足元にある工具箱の中身はどれもどこにも届かなくて、ただここは夕陽のきれいなところです。

 

帰ってくるよという確約ができないのでたぶん生物に向いていません。たまに巣に帰らないことをとやかく言わないでほしい。こういう人間がある日突然得体の知れない恐怖に苛まれて巣を捨てるのだろうと、それでも悪人になりきれなくて新しい拠り所を見つけることもできずに野垂れ死んでいくんだろう、と、思います。

 

いい加減にしろと何度も言われましたけどなにをどうすればよかったんだろう。ひとの時間をむやみに奪うことだけが達者だと、お前のような人間が意図しないまま他人を食い潰してしまうんだと言われても、なにをどうすればよかったんだろう。だから大切にしないでほしい、わたしには対価が払えない。あなたを愛していると真っ直ぐに言われても、いずれ来る終わりを何度も何度も何度もシミュレートしている。

 

それでも愛おしいから、心は怖い。もうほとんど大切になんかされていないだろうし愛と責任は似ていて少し違うから、わたしにかけられている情けはどちらかというと責任なんだろう。責任という名の愛と呼べばいいのかもしれないけど。

 

それでもはやく愛のある暮らしを送りたい。愛があればこんなに泣かなくて済む、意味のわかる暮らしになる。なんでもかんでも怯えるのをやめたい。でも怯えることは自分を守ることだ、振り上げた右手は殴ることではなく誰かの頭を撫でることに使われるべきだろう。だから許したいと願う。許すことだけが愛じゃない、むしろ叱るということは許すことより優しい、でもやり場のない感情の形として現れる意味のない殴打は悲しいだけだ。

わたしは許されたいのかもしれない。なにもしなくても、すべてを。最初から最後までを認めて正しかったことにしてほしいのかもしれない。

 

だれかを愛おしいと思う。もうみんな寝たから、部屋の電気を消してしまった。暗いところで流した涙は本物になってしまう。今日のわたしは本物だった、そして眠りについてやがて嘘になる。