ろくでなしには絆創膏を

 愛すべき世界について

という阿呆のような書き出しがあったとして、尊ぶべき世界、わたしが何かを賭しても守るべきこの世界はわたしが消えると同時に終わりを迎える。「わたしがいなくなっても太陽は昇る」というフレーズは随分陳腐なものになってしまったけれど、未来永劫まったくもってその通りなのだ。わたしの生きる世界は「わたしの生きる」世界である以上わたしの死とともに滅ぶ。しかし、きみの世界やだれかの世界は、大きく変わることも歪むこともなく回るのだろう。それでも、わたしの作用によって始まり、終わる世界があることを嬉しく思う。

 

ずっとヒーローになりたかった。ヒーローはいつも誰かを救い、大声で正義を叫ぶ。確かな光に照らされたいと思うと同時にわたしは、光でありたいと願った。きみの心の中にあたたかさを残して、ふと思い出したとき、きみが微笑む手助けをできるような存在でありたいと望んだ。望んだだけだ。わたしのなりたかったヒーローはきっとこんなに独りよがりではなくて、自分のためにだれかを助けたりしない。手前のためにかける情けがひどく夢見がちなものであると知っていて、救われたくて届かないものを欲しがる。いつの間にか、ヒーローとは対極の位置に来てしまった。こんなところで方向音痴を発揮するつもりはなかったのだが。

 

世界の磁石が狂っている。だからわたしの喉から這い出す正義は戯言で、切り捨ての対象にしかならない。死んだ白血球は膿になって淀む。それを化膿と呼ぶけれど、わたしがやがて膿に化けられるほど立派な細胞であったかどうかは怪しいところだ。膿がなくなってもきみは生きられる、きみの世界は回る。むしろ厄介な傷が治って爽快なんじゃなかろうか。そーかいそーかい、それで構わない。容赦なくゴミ箱に放り込んでくれたらいい。でもそんな膿にも声があった。眩しい感情があった。聞こえない声で甲高く、傷口は叫んでいた。けれど傷口は塞がるようにできている。塞がれた傷はもう傷ではなくて、ただ、そこには清潔な世界の表面がある。だれが近づくことも触れることも厭わない、慈母のような世界の表面が。叶うならわたしはそこに、きみを招き入れたいと思う。傷のあった様子すらない整えられた場所でだれかと笑っていたいと願うことは寂しいことなのだろうか。正しいことなのだろうか。

そんな日々は来るはずもないのだろうか。

 

馬鹿なので延々とこういうことばかり考える。そしてわたしの頭の中からことばを取り去ってほしい、と言い続けている。ことばを忘れるほどのなにかを与えられたい。なら探しに行けときみは怒るかもしれない。だれかと、だれかと、だれかと。こんなに「だれか」を欲しがるから、いつも独りでいるように思えるのかもしれない。けれどいざ「だれか」が現れてしまったらきっと狼狽するだけだろう。そういう奴がどうしようもないろくでなしと呼ばれる。わたしはろくでなしの定義を見事に満たしていて、なぜか今軽やかに笑い声を立てているのだ。