古代文書


1年近く放置していた。日々なにもなく、かといって穏やかなわけではなかったがまた1年生きた。なんでもない今日に、天ぷらうどんを食べてみる。ハッピーアンバースデイ。また新しい朝が来る。きっと希望の朝じゃない。

それはそれとして、せっかく久々に開いたので下書きの記事を見てみたら部活の引退式の備忘録が残っていた。これ以上埃をかぶるのも不本意なので載せてみる。

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引退してしまった。みんなが笑ってる引退式でよかった。
最後にみんなの前で話したことを書いておこうと思う。



早いもので、もうこの日が来てしまいました。ここで何を喋るかそこそこ考えてはいたのだけど、改めてまとめようとするとたくさんあって困ってしまいますね。

部長の反省というより、「それを踏まえて伝えたいこと」の比重が重くなるように思います。
あらかじめ言っておくんですが、ここでわたしが話すのはあくまで「わたしの思っていること」に過ぎません。それが絶対ではないし、違うなと思ったら忘れてもらってもかまいません。
しばらくお付き合いください。

順当にいきましょう。

わたしが部長職に就いて最初の公演は新歓でした。
とにかく人が足りなくて新入生に来てほしくて、土曜も平日もたくさん公演を打つという試みをしましたね。
人がいなくなってしまっては、部活は成り立ちません。当時から本当に、自分たちの代がいなくなった後のことを考えていたように思います。うちの部活で続けていってくれそうな子が一定数きちんと入ってくれたので、まず一つ、未来への足がかりを残せたかなと思います。これからも、続いていくといいですね。

さまざま変えたシステムもありましたが、大まかな流れは変わらず、基礎練、クラブ体験教室を経て、文化祭の準備に入りました。
稽古の現場はいつも意見が出やすく、みんなで楽しんだこともみんなで疲れきったこともあったけれど、兼ね合いなく劇を作っていけたのではないかと思います。いい現場でした。最後にふさわしかったなと思っています。

とは言いつつも引退時期について、みんなに発表した時があったと思うんだけど。ここで隠居するのか冬の公演まで残るのか、発表する2分前くらいまで考えていたのが事実です。
最終的に文化祭引退を選んだわけですが、いくつか思うところがあって選んだことなので、それにまつわる話をします。

ご存知の通り、×××という人間はお世辞にもしっかりしているとは言えず、部長をしていた間も、基本的に行き当たりばったりな感じになってしまいました。同輩がちゃんとしてくれていたこともあり、なんとかここまでたどり着くことができましたが、その辺はまあ、あまり見習わない方がいいでしょう。
おかげさまで後輩たちがとてもしっかり育ってくれたので、今はもう、僥倖かなと思うことにしています。(ごめんね)
予定管理のこと、基礎を充実させていくこと、そういう話は×××さんや×××さんの話にも出ていたので特に心配はしていません。わたしの用意してきた話が、違う趣旨のものでよかった。

たとえば部長、演出ももちろんそうでしょうが、『上に立つ人間』というのが組織の中では生まれてきます。先輩後輩の関係に限らず、そういうものがないと人をまとめることはできないからです。
人をまとめる時、必要なことは何か。その人自身が信頼のおける人物であることがとても大切になってきます。そのためには『全体を見渡せる』人間になることがなによりも肝心です。

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以下略。ここまでしか残っていなかったが、こんな話をしたらしい。もう我々のもう一つ下の代が引退するような時期になってしまったよ。だからこれはもう1年前に書かれたものなんだ! お前さん。信じられるか? わたしは信じられない。どちらかと言えば、信じたくない。認めてしまえば、あまりに自分に変化がないということにも頷かなくてはならないからだ。余計なことに辟易し続け鬱屈していた頃と何も変わらない。なにも懐かしくない。だってわたしに変化がない。
思い出に取り残され、風化する記憶の中からわたしだけが歩み寄ってくる。他人の顔つきに滲む経験や感情は嫌というほどその値が判るのに、手前で手前を鏡で見てもただ首を傾げることしかできない。虚像のわたしは歪み、奇妙な色になり、向き合うことを拒む。言いたいことは「見るな」なのか「それでも見ろ」なのか、未だに捉えあぐねているけれどできることなら見たくない。鏡や写真の嘘偽りのない映し方が基本的に嫌いだ。どうしてああも笑われている気がするのだろう。誰に馬鹿にされるのが堪えるって過去の自分に決まっている。人間はそう簡単に変わったりしないのか、わたしが怠惰な小娘なのかはわからない。それでも10代後半の1年間をもってして殆ど内面に変化がないとなればぼんやりとした虚無感に苛まれるのも致し方あるまい。
成長は砂のように掌から零れ落ち、拾い集めることはままならない。おおきくなるということは、かなしいことではなかったはずだ。あと2年足らずでハタチかよ、嘘だろ。ハタチにはもっと遠くいてもらわなくちゃ困る。こんな自分がたとえ肩書きだけでも大人と呼ばれてしまっては世も末だろう。末なのか、そうか。なら、仕方ない。

村八分以前の問題

 

高校3年生になってしまった。「なってしまった」という表現があまりにもふさわしい。先日18歳になりただでさえ現実を疑っていたのに、4月とはいつも恐ろしい月だと思う。(誕生日が年度頭にあると毎年、ああこの先も先陣切って年老いていくのだなという感慨があるものだ)

 

 

それはさておき、父が入院して約1週間が経った。まだ1週間か。本当にまだ1週間なのか。ならばこの疲労はなんだ。

そこそこ惨事だったとはいえただの怪我なので口は変わらず達者なのだが、普段病院の世話にならない人間だからか自分への過信が激しい。もう治った、もう歩けるから帰らせろ、それがまだ無理だしここにいるんだべ、と。そりゃあ暇だろうがそれなりに状況を楽しむくらいの余裕を持っていただきたい。少なくともそこへ通う人間の心情を察せる程度には。くっつく骨もくっつかなくなるぞと半ば脅して、面会時間を終えた。供されている病院食を見て、こりゃわたしの方がよっぽど不健康な食生活送ってるなと思えてしまったのが可笑しかった。しかしそんなのは今に始まったことではない。誰かの健康を取り戻し支えるため、誰かがどこかで倒れている。余計な足し算のために自分から引き算をする。簡単なからくりだ。みなさんも不注意の怪我にはどうぞお気をつけて。日頃の行いに自信がないのなら、尚更。ため息しか出てこなくて虚しい。

 

 

システムとは妙に煩雑にできているもので、あれやこれやと苦労した。名義という概念は本当に面倒だ。もちろん致し方ない部分もあろうが、本人が本人であることをあんなに何度も確認されては自分の存在が揺らぐだろう。ここ最近の嫌いな言葉は「本人確認」だ。本人確認アレルギー。全身がかゆい。その度にわたしは家と病院を往復することになるのだ。

うちのひとたちは何につけても電話で問い合わせると窓口と喧嘩になる。その上ウェブ問い合わせなど全く信用していない。なんてこった。どうしろってんだ。わたしが電話をかけて奥様と勘違いしてもらえると非常にありがたかった。そうですわたしが奥様です。おれの心臓はここだよ、ワハハ。

あまりにも「会員登録」「利用登録」を避けるうちのひとたちが現代を生きづらいのは仕方ないことなのかもしれない。毎度パスワードを忘れ、秘密の質問も忘れ、こんなものをいちいち入れさせるほうがおかしいと毒づく。我々にとっては大した手間ではなくても、まあ、大儀なのだろうとは思う。だが郷に入れば郷に従え、この広いインターネット村に静かに拡がる当たり前の掟を糾弾するのなら居場所はない。ない居場所について怒鳴ったって、じゃあ正規手続きで門からどうぞと案内すればそれは面倒だと言うのだからなす術はなかろうよ。そういうもんだと諦めてはくれまいか。どうしようと世界は、あなたたちをさておいて変わってしまうのだ。変わってしまうんだよ。そのブルーライトの先にあるものを軽んじてはいけない。だってワールド・ワイド・ウェブだぞ。ワールドワイドの目の前じゃ、そちらさんの言い分など毒にも薬にもなりやしない!頼むから文句言わずに頑張ってくださいよ!頼むから!せめて電話で喧嘩しないでくれ!!

 

 

書類、書類、書類。自分の新年度関連書類とその他が混ざる。なんかもう悲しくなってきた。何してんだろうな。あの病院はめちゃめちゃ乾燥しているので毎度唇が切れる。物理的に血を流しながら帰路につく時、もう夕飯はいいかなと考えがよぎるのも致し方あるまい。疲労困憊エブリデイアクセル全開、新年度から荒波に放り出された気分だ。あと半年は似たような生活が続く。生きていることを褒めてほしい。贅沢者ですみません。

マイ・ディア

行きたい場所を、いつも諦めてきた。
どこに行く?誰と行く?いつ帰る?他にやることは?そんなところに行っている場合? わざわざひとを説得するのがほんとうに嫌で嫌で、じゃあもういいよと片付ける。どうせそんなに行きたくなかったんでしょう、と言われるのが昔から大嫌いだった。お前には他にやることがあると示されることももう勘弁してくれと思っていた。他の子とは違うのだと信じていたかったのだろう。ひどい期待と過信。あまりに夢見がちにわたしの未来を語る姿が、ただ苦しい。そして、目上の者の幻想は尊ぶべきものだと考えるどん底のわたしは嘘を覚えた。今でも外出理由は8割方嘘である。本当なのは「学校に行く」くらいのものだ。なぜ嘘をつくのか、と問われることが増えたけれど、逆になぜわからないのだろうと不思議に思う。言わなければわからない、と言われた時は冗談かと思った。まあ、それが冗談ならこんな風にはなっていないんだろうが。
ただひたすらにわたしの居場所は家しかなく、そこにいさえすればだいたいは許されていた。今思えば顔の形変わりかけるほどぶん殴るのはどう考えてもおかしいけれど、それでも許されていたのだと思う。「未来を想って」という言葉は都合よく使われるが、そのせいで今死んでしまったらどう思ったんだろうなあ。そんなつもりはなかったと言うのだろうな。そんなつもりがなくたって、造られるものは現実である。


期待されなくなったら終わり、言われているうちが花。とはよく言われるけれども、いやわたしに期待を抱いてくれているのはお前さん方だけじゃねえぜという話だ。幼い頃はもちろんその通りだろうが、10代も折り返してしまえばそれは通用しなくなる。むしろ血縁のない者の方が客観的に、身の丈に合った期待を抱いてくれることだってある。そういったひとの言葉の方が確実に励みになり、成長の糧となっていくものだ。
だがあのひとたちは生殺与奪を握っている。その気になれば食糧源を断ち、金銭を断ち、屋根のある場所から追放することができる。それがまあうまいことやるもんで、家事はきっちり仕込んでも、雨風凌ぎ穏やかに暮らすために必要な書類や金の払い方云々に関しては一切触れさせていなかったりする。絶妙なラインでひとりではろくに生きていけないようにされている。生かすも殺すも一存だ。しかしそれをされては、庇護下にある者たちは意思の一切を否定されることにもなりかねない。それでいいはずがないよ。こうしなかったらお前は暮らしていけなくなるがそれでもいいのか、行きたい場所にも行けなくなるしやりたいことも出来なくなるぞ。なんて、面白いだけじゃないか。あなたがいるからどこにも行けないしなにもできないというのに。だがしかし常に分は向こうにある。わたしはいつも命懸けだ。生きるため必死だ。しかし所有物でも依り代でもない、わたしとは個である。お陰さまで死にたいけれどかえって死んではいけない気もしてくる。いつか死んだこのひとと地獄で会うのは御免だからだ。


「誰が金払ってると思ってるんだ」だけは、絶対に言ってはならない。ならば被扶養者はどうすればいい?生かしてくれるひとのために、思い通り動かなくてはいけないのか?動かなくてはならないのだろう。実際。そうしなければ人権はますます削られ、同じ台詞が繰り返される。だから嘘が上手くなる。誤魔化すことばかり覚える。だったらなにも言われないくらいに自分を高めればいい、悔しがって泣いてでも這い上がって来ればいい?それはひとを育てるやり方じゃない。素質がある人間を見つけてさらに篩にかける方法でしかないのだ。
「他のひとがあんまりにも怒っていたり必死になっていたりどうにかこうにか期待していたりするのを見ると、かえって冷静になってしまうんだよ。わかる?」と訊いたことがあったけれど、「自分はそうではない、お前は間違っている」としか返ってこなかった。落とされるほど貶されるほど、ひととは上に向かうものなのだと。それだけが真実で、どうやら手前の感じているものなどは欺瞞でしかないらしい。笑ってしまった。もう全部わたしとズレている。ひとの感覚を尊重しない相手の抱く勝手な幻想を尊重しているわたしが馬鹿のようではないか。当然同じ人間ではないから、共感し難いこともあるだろう。しかし自分に理解できないというだけでは、他方が間違っているという理由にはならない。それを説明してみたところで、「飯」の一言だ。「お前は本当にひとの話を聞かない」「お前は本当にひとの助言を受け取らない」「お前はあまりに自分勝手だ」とよく言われるけれどその度にあなたもね、あなたもね、あなたもねと思うわたしがいる。自分はそんなことはないと信じて疑っていないのが可笑しい、わたしはあなたの血を引いているんだよ?
経験値のある人間がとにかく優れていて、肝心な場所でわたしに発言権はない。ありがちな「子供っていうのはいつまで経っても手のかかる子供に見えるんですねえ」などというのんびり温かい言い回しさえ恐ろしくて仕方ない。わたしは永遠に間違っていて、出来損ないであるが故嘘をつき続けなくてはならない。癖になった嘘を責められながらまたその場を嘘でやり過ごすのか。嘘に対してずいぶん狂ったこの感覚は二度と治らないのか。一生まともになれない気さえしてくる。

「強い心で向き合う」なんていう爽やかなことが簡単にできたらなあ、いろいろ言ったって結局わたしが悪いんだろう。そもそも出来損ないになってしまったのがいけない。真っ直ぐだった幼い頃から道を違わず進んでくれば、余計な場所を見ずにひたすら愚直に疑うことすらせず歩んでくれば理想通り育ったのだ、きっと。生きててすみません。生きててすみません。