村八分以前の問題

 

高校3年生になってしまった。「なってしまった」という表現があまりにもふさわしい。先日18歳になりただでさえ現実を疑っていたのに、4月とはいつも恐ろしい月だと思う。(誕生日が年度頭にあると毎年、ああこの先も先陣切って年老いていくのだなという感慨があるものだ)

 

 

それはさておき、父が入院して約1週間が経った。まだ1週間か。本当にまだ1週間なのか。ならばこの疲労はなんだ。

そこそこ惨事だったとはいえただの怪我なので口は変わらず達者なのだが、普段病院の世話にならない人間だからか自分への過信が激しい。もう治った、もう歩けるから帰らせろ、それがまだ無理だしここにいるんだべ、と。そりゃあ暇だろうがそれなりに状況を楽しむくらいの余裕を持っていただきたい。少なくともそこへ通う人間の心情を察せる程度には。くっつく骨もくっつかなくなるぞと半ば脅して、面会時間を終えた。供されている病院食を見て、こりゃわたしの方がよっぽど不健康な食生活送ってるなと思えてしまったのが可笑しかった。しかしそんなのは今に始まったことではない。誰かの健康を取り戻し支えるため、誰かがどこかで倒れている。余計な足し算のために自分から引き算をする。簡単なからくりだ。みなさんも不注意の怪我にはどうぞお気をつけて。日頃の行いに自信がないのなら、尚更。ため息しか出てこなくて虚しい。

 

 

システムとは妙に煩雑にできているもので、あれやこれやと苦労した。名義という概念は本当に面倒だ。もちろん致し方ない部分もあろうが、本人が本人であることをあんなに何度も確認されては自分の存在が揺らぐだろう。ここ最近の嫌いな言葉は「本人確認」だ。本人確認アレルギー。全身がかゆい。その度にわたしは家と病院を往復することになるのだ。

うちのひとたちは何につけても電話で問い合わせると窓口と喧嘩になる。その上ウェブ問い合わせなど全く信用していない。なんてこった。どうしろってんだ。わたしが電話をかけて奥様と勘違いしてもらえると非常にありがたかった。そうですわたしが奥様です。おれの心臓はここだよ、ワハハ。

あまりにも「会員登録」「利用登録」を避けるうちのひとたちが現代を生きづらいのは仕方ないことなのかもしれない。毎度パスワードを忘れ、秘密の質問も忘れ、こんなものをいちいち入れさせるほうがおかしいと毒づく。我々にとっては大した手間ではなくても、まあ、大儀なのだろうとは思う。だが郷に入れば郷に従え、この広いインターネット村に静かに拡がる当たり前の掟を糾弾するのなら居場所はない。ない居場所について怒鳴ったって、じゃあ正規手続きで門からどうぞと案内すればそれは面倒だと言うのだからなす術はなかろうよ。そういうもんだと諦めてはくれまいか。どうしようと世界は、あなたたちをさておいて変わってしまうのだ。変わってしまうんだよ。そのブルーライトの先にあるものを軽んじてはいけない。だってワールド・ワイド・ウェブだぞ。ワールドワイドの目の前じゃ、そちらさんの言い分など毒にも薬にもなりやしない!頼むから文句言わずに頑張ってくださいよ!頼むから!せめて電話で喧嘩しないでくれ!!

 

 

書類、書類、書類。自分の新年度関連書類とその他が混ざる。なんかもう悲しくなってきた。何してんだろうな。あの病院はめちゃめちゃ乾燥しているので毎度唇が切れる。物理的に血を流しながら帰路につく時、もう夕飯はいいかなと考えがよぎるのも致し方あるまい。疲労困憊エブリデイアクセル全開、新年度から荒波に放り出された気分だ。あと半年は似たような生活が続く。生きていることを褒めてほしい。贅沢者ですみません。

マイ・ディア

行きたい場所を、いつも諦めてきた。
どこに行く?誰と行く?いつ帰る?他にやることは?そんなところに行っている場合? わざわざひとを説得するのがほんとうに嫌で嫌で、じゃあもういいよと片付ける。どうせそんなに行きたくなかったんでしょう、と言われるのが昔から大嫌いだった。お前には他にやることがあると示されることももう勘弁してくれと思っていた。他の子とは違うのだと信じていたかったのだろう。ひどい期待と過信。あまりに夢見がちにわたしの未来を語る姿が、ただ苦しい。そして、目上の者の幻想は尊ぶべきものだと考えるどん底のわたしは嘘を覚えた。今でも外出理由は8割方嘘である。本当なのは「学校に行く」くらいのものだ。なぜ嘘をつくのか、と問われることが増えたけれど、逆になぜわからないのだろうと不思議に思う。言わなければわからない、と言われた時は冗談かと思った。まあ、それが冗談ならこんな風にはなっていないんだろうが。
ただひたすらにわたしの居場所は家しかなく、そこにいさえすればだいたいは許されていた。今思えば顔の形変わりかけるほどぶん殴るのはどう考えてもおかしいけれど、それでも許されていたのだと思う。「未来を想って」という言葉は都合よく使われるが、そのせいで今死んでしまったらどう思ったんだろうなあ。そんなつもりはなかったと言うのだろうな。そんなつもりがなくたって、造られるものは現実である。


期待されなくなったら終わり、言われているうちが花。とはよく言われるけれども、いやわたしに期待を抱いてくれているのはお前さん方だけじゃねえぜという話だ。幼い頃はもちろんその通りだろうが、10代も折り返してしまえばそれは通用しなくなる。むしろ血縁のない者の方が客観的に、身の丈に合った期待を抱いてくれることだってある。そういったひとの言葉の方が確実に励みになり、成長の糧となっていくものだ。
だがあのひとたちは生殺与奪を握っている。その気になれば食糧源を断ち、金銭を断ち、屋根のある場所から追放することができる。それがまあうまいことやるもんで、家事はきっちり仕込んでも、雨風凌ぎ穏やかに暮らすために必要な書類や金の払い方云々に関しては一切触れさせていなかったりする。絶妙なラインでひとりではろくに生きていけないようにされている。生かすも殺すも一存だ。しかしそれをされては、庇護下にある者たちは意思の一切を否定されることにもなりかねない。それでいいはずがないよ。こうしなかったらお前は暮らしていけなくなるがそれでもいいのか、行きたい場所にも行けなくなるしやりたいことも出来なくなるぞ。なんて、面白いだけじゃないか。あなたがいるからどこにも行けないしなにもできないというのに。だがしかし常に分は向こうにある。わたしはいつも命懸けだ。生きるため必死だ。しかし所有物でも依り代でもない、わたしとは個である。お陰さまで死にたいけれどかえって死んではいけない気もしてくる。いつか死んだこのひとと地獄で会うのは御免だからだ。


「誰が金払ってると思ってるんだ」だけは、絶対に言ってはならない。ならば被扶養者はどうすればいい?生かしてくれるひとのために、思い通り動かなくてはいけないのか?動かなくてはならないのだろう。実際。そうしなければ人権はますます削られ、同じ台詞が繰り返される。だから嘘が上手くなる。誤魔化すことばかり覚える。だったらなにも言われないくらいに自分を高めればいい、悔しがって泣いてでも這い上がって来ればいい?それはひとを育てるやり方じゃない。素質がある人間を見つけてさらに篩にかける方法でしかないのだ。
「他のひとがあんまりにも怒っていたり必死になっていたりどうにかこうにか期待していたりするのを見ると、かえって冷静になってしまうんだよ。わかる?」と訊いたことがあったけれど、「自分はそうではない、お前は間違っている」としか返ってこなかった。落とされるほど貶されるほど、ひととは上に向かうものなのだと。それだけが真実で、どうやら手前の感じているものなどは欺瞞でしかないらしい。笑ってしまった。もう全部わたしとズレている。ひとの感覚を尊重しない相手の抱く勝手な幻想を尊重しているわたしが馬鹿のようではないか。当然同じ人間ではないから、共感し難いこともあるだろう。しかし自分に理解できないというだけでは、他方が間違っているという理由にはならない。それを説明してみたところで、「飯」の一言だ。「お前は本当にひとの話を聞かない」「お前は本当にひとの助言を受け取らない」「お前はあまりに自分勝手だ」とよく言われるけれどその度にあなたもね、あなたもね、あなたもねと思うわたしがいる。自分はそんなことはないと信じて疑っていないのが可笑しい、わたしはあなたの血を引いているんだよ?
経験値のある人間がとにかく優れていて、肝心な場所でわたしに発言権はない。ありがちな「子供っていうのはいつまで経っても手のかかる子供に見えるんですねえ」などというのんびり温かい言い回しさえ恐ろしくて仕方ない。わたしは永遠に間違っていて、出来損ないであるが故嘘をつき続けなくてはならない。癖になった嘘を責められながらまたその場を嘘でやり過ごすのか。嘘に対してずいぶん狂ったこの感覚は二度と治らないのか。一生まともになれない気さえしてくる。

「強い心で向き合う」なんていう爽やかなことが簡単にできたらなあ、いろいろ言ったって結局わたしが悪いんだろう。そもそも出来損ないになってしまったのがいけない。真っ直ぐだった幼い頃から道を違わず進んでくれば、余計な場所を見ずにひたすら愚直に疑うことすらせず歩んでくれば理想通り育ったのだ、きっと。生きててすみません。生きててすみません。

おはようミッドナイト

「もう自分を傷つけるのはやめて!」
などと言われ、わたしが何と返したかは思い出せない。ただ、あのだだっ広い会議室の静まり返ったさまは今でも憶えている。あの日、普段生徒の立ち入らない場所でわたしは(わたしだけではなかったのだが)散々傷まみれにした手の甲を晒していた。夏服の頃だった。
理由を求められ、考え、考えて捻り出した言葉は「寂しかったんだと思う」というような類のものだった。それはきっとあのひとたちにとって「危険信号」で、わたしはその場所に縫い留められた。弁解は許されなかった。しかし実のところすでに語彙は場の空気によって掻き消え、ただわたしにはそれが限界だっただけだ。問い質され、いい子でいる必要はないなどとまったくお門違いの慰めを受け、そして解放された。(そんなことをしておきながら、大人と話す方が良ければ職員室に来なさいと言う。わたしの態度のどこを見ればそう思えたのか。ありもしない行間を勝手に読まないでいただきたいものだ)
そして数多の勘違いが横たわり、結果、わたしはあるひとの手を離してしまった。

普段は思い出さないよう努めているが、時折その場面だけが執拗にリフレインするのだからどうしようもない。今日は夜中の空気にでも当てられたのだと思う。夜中のこういうところが嫌いで、また好きでもある。朝には忙殺されることも、こうしてふいに思い出せるから。そのせいで泣く羽目になろうがそんなのは夜中の知ったことではなかろう。



苦しんでいるひとの出すSOSとはなんだ。そんなものがわかるのか?あなたに?
「あのひとは今普段見せない表情をしている、あれは間違いなく思い悩んでいるサインだ」などと言える人間がいたらかえって奇妙に感じられるだろう。もしわたしがそう言われたら、たとえその通り何かを案じていても「なんでもないよ」と返す。他者と関わる自分について「相手のことを深く理解していて、その理解に間違いがなく、よって今相手を救う資格とその必要性がある」と思い込める人間には決して踏み入らせたくない。決して。わたしにとって死にたくなるほど考えることというのは、そういう性質のものである。躊躇いのなさとは相容れない。
救われるのだからいいのではないか、というのもひとつ、考え方だとは思う。その助けの形がどれほどズレた形だろうと救いの手を取れば必ず事態は好転する、何かしら糸口が掴める。辛く苦しいのならどんな方法でもそこから這い上がりたいはずだ、という、幸せな者の考え方。
ただ、それが正しいとは思わない。少なくとも、わたしは経緯に拘ってしまうのでそうはいかない。だって現状はどうだ、あの時「これは危険信号であなたは辛さを感じている!」と捕まった結果、定期的に死のうとする日が生まれている。それによって失ったものがあったのだ。つまり善意が回り回って、未来のわたしを痛めつけることになった。もしあの時、さっさとあの場を去れていたなら。わたしの自殺企図の頻度は多少下がっていたと思う。

(推測でしかないだろうと言われれば元も子もないだろうが、それなら行ったことだけがすべて正しくなってしまうだろう。なにをして悪い結果になろうと、「あの時ああしなければもっと悪い結果になっていた可能性がある」なんて、そんな横暴な話があるか。だったら同じように、もっといい結果になっていたかもしれないと想いを馳せることも許されなくてはならない。つまり結局、過去をあれこれ言うなんてことは不毛なのだ。しかしわたしはそこから逃れられずにいる)

善く在るひとほど、助けとして投げた善意の縄が相手の首を絞める可能性を常に考えていなければならない。悪意は言わずもがなとして、善意もまた、誰かをきちんと殺すことができる。そちらの方が厄介なのも事実だ。残念なことに「よかれと思ってやった」という言葉より先をなかなか毅然と責めることができないのが人情というものである。こうしたら支えになれると思ってやったんだよね、悪気はなかったんだよね、ほら許してあげて。どうしてそれで許さなくてはいけないのかはわからないが、大概そうなってしまう。どれほど受け容れ難い形で差し出された善意だろうと、それが善意ならば受け取らない方が悪になる。悲しいことだと思う。「SOSを受け取った」と感じたら土足で踏み入ってもいいというわけだ。そんなのもう、ひとに会いたくなくなってしまうよ。
「そう言えるのも今お前が生きているからだ」というフレーズでなんとなく話を収めようとしたって、死んだわたしがどう何を語るかは知りようがない。死んだ後意識から解放されるのか、思考を手放すことが叶うのかもわからない。だから生きていることはそれほどまで美しく、当たり前とされる。軽やかに志を抱いて死ぬことと虚ろに生きていることを天秤にかければ、後者の方がいいと言う。死は絶対的なマイナスであり、生はとかくプラスと認識されている。中身は関係ないのだ。
黄泉の国ご案内お試しツアーでもあれば解決するんだろう。向こうはこんなところだ、と、確かに語れる生者がいるのなら。三つ瀬川は見えず、わたしたちはただただ死ぬまで生きているしかない。どうして死んでしまったら終わりなんだろうなあ。


夜は、昼より生命の力が強い気がする。
生きようと思うのも死のうと思うのも、いつも夜だ。まただれかの厚意でだれかが首を吊る。そして明日も陽は昇る。