言質だドン

「今の状態じゃ無理」
「厳しいね」
「当たり前だろ」
「時間があれば」
「信用がない」
「嘘」
「それが評価」
「何をやってもだめ」
「そんなとこだね」
「最悪な6年間だった」
「長かった」
「もう何にもなれない」
「進歩は何もなかったね」
「役に立たない」
「知ってた知ってた」
「そりゃそうだよなあ」
「結局何もできないじゃん」
「当たり前だよね」
「裏切り続けていくんだね」
「恥だ」
「心配とかじゃなくて、憎んでる」
「今まで我慢した分病院に行こうかな」
「お前のせいで死にたい」
「死にたいなあ」
「自分の金は自分で使うよ」
「嘘ばっかりだ」
「いいことなんか一つもない」
「金がかかるんだよ」
「最低」
「さっさと死にてえよ」
「何やってんだよ」
「穀潰し」
「救いようのない人」
「ねえ、救いようのない人」
「救いようのない人も飯食うんだね」
「腹立つなあ」
「そりゃ無理だよ」
「残念だね」
「大学生になんかなれるわけないじゃん」
「すでに何にもなれてないのに」
「悔しかったらまともに生きてみろよ」
「死に物狂いでさ」
「無理でしょ?」
「何にもなれないで死んでいくんだよ」
「もう××なんじゃないの?」
「もう××なんじゃないの?」
「本当は××なんじゃないの?」
「本当は××なんじゃないの?」
「本当は××なんじゃないの?」
「本当は××なんじゃないの?」
「本当は××なんじゃないの?」
「××が××だから××なんだよ」
「××が××だから××なんだよ」
「××は×××××」
「××××××××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「××」
「なんでここにいるの?」


最悪な6年間だったらしい。わたしのせいで仕事もうまく行かず稼ぎも少なくさまざまな災厄が起きたらしい。いいことは一つもなかったそうだ。ああそう。その場の気分でぽんぽんものを言うのはやめた方がいいよ。言ったら満足することはもう知ってるけど、そんなことばかりしているから幼かったわたしはあなたの何が正しいのかわからなくなったのだ。煽ってわたしを育ててやろうなんてそんな大層なものでもない。言いたいことを言えればそれでいいんでしょう。きっとわたしが無事に合格などして春を迎えたら正反対のことを言うのだろう。一貫性という言葉にわたしが固執するのは、絶対にあなたのせい。失敗したらそれ見たことか、成功すればずっと信じていた。都合がいいなあ。賭けるならはっきり賭けてくれないか。事がうまく運んだ時にはぜひあなたに全額スったような顔をしてほしい。全く不本意だという顔でわたしを祝う姿は、少し見てみたいと思う。
この悔しさをバネに、という言葉はもうずっと嫌いだ。でもマイナス方向の感情だって、確かに等しく強い感情だと思う。わたしはいい人ではないのでプラスの気持ちを重ねて清く正しく走ることができない。わたしが誰かの予想を裏切って勝手に幸せになっていくことは、つまり不可視の刃で奇襲をかけるということである。光る刃を研ぎ澄ませて、活殺を突く。見えない血を見て、ない命を消す。その一瞬のために、わたしはここに居続けているような気がしてならないのだ。頼むから笑顔を見せないでこころのなかでいちどくらいおとなしくたおされてくれないかなわらわないでわらわないでわらわないでわらわないであっちいってあっちいってあっちいってよ

あなたはあなた、ポテトはポテト

 

当方受験生でそれなりに忙しく日々を送っているが、今日もわたしは午後に目覚めた。あいにく、生まれた瞬間から夜型だ。ブランチとも呼べないほどのハッシュドポテトを二つ食べて、なくなってしまったケチャップに気付く。外はとても寒い。

 

今とはつまり正念場で、年の瀬とも言う。今年は、そうだなあ。思い出すことと云えば、わたしがあくせく机に向かっているうちにKERAが店頭から消えていたことなどだろうか。Zipperもいなくなってしまうそうで、パレットから大切な色が失われていくような気がしている。この虚ろはなんだろう。教えておじいさん。

 

わたしはギリギリ1000年代に生まれ、あと十年早く生まれたかったと何度も思ってきた。より個々を重んじる時代になって久しいのだろうと思う。尖っていることも丸くあることも、いい個性。きっと誰もが生きやすい世界になりつつあり、わたしも風潮の恩恵を受けてきた節がたくさんある。なのに寂しいのはなぜ?

 

あなたはあなた、わたしはわたし。それでいい。それ”が”いいのだ。今は。

而して最後の防衛手段であり、必殺の一撃だろう。だってそんなこと言われたら、何も言えない。わたしはあなたに何も言うことができない。双方向の愛なんて、ますます奇跡めいたものになってしまう。頭のどこかをぼんやり騙され、友人やら恋人やらさまざまな幻想へと簡単に自分を昇華できる時代はもう終わってしまったのかなあ。

こんなにそれぞれのやり方を重んじて、尊重して、優しく笑っている。喜ばしくて崇高で、とても哀しい。誰もが神様になろうとする。あなたがあなたであることは、もう充分にわかった。それを前提として、ひとを許さなければいけない。そして、愛さなくてはいけない。あなたがあなたであることに、わたしの入る余地はありますか。あるならわたしを愛してください。ないならなるべく傷つけないように、わたしを遠ざけてください。

 

やがて人は誰とも会わなくなってしまうのだろうか。他者は質感を伴わないものになってしまうのだろうか。そんな小学生みたいな不安に苛まれることが未だにある。そうなれば、人は世界の存続を望むだろうか、終末を淡々と待つのだろうか。ああ、二つの勢力が争って最期の日を早めてしまうのか。きっとそうだ。多様化と肯定がどれほど美しいものとされても、わたしたちは争うことを忘れられない。それが小さなものであれ、大きなものであれ。だったら今くらい、過剰に許しあってもいいのかもしれないな。

今いる人が死んでしまったら人間の文明は終わりだよ、なんて、言われていなくてよかった。絶望の淵に立ってしまったら、それ以上の絶望を考えつかなくなるから。

 

平成の足音にはラルゴの指示が下り、穏やかに最終楽章が訪れようとしている。

相変わらず英語という教科は眠剤のように作用するけれど、びっくりするほど健康なままで冬になった。来年の春、わたしはどこにいるのだろう。もし何もかも上手くいったとして、死のうとしていたら何の意味もないな。ケチャップでも買って帰るといい。あたたかな春風が吹く日を選んで。

 

古代文書


1年近く放置していた。日々なにもなく、かといって穏やかなわけではなかったがまた1年生きた。なんでもない今日に、天ぷらうどんを食べてみる。ハッピーアンバースデイ。また新しい朝が来る。きっと希望の朝じゃない。

それはそれとして、せっかく久々に開いたので下書きの記事を見てみたら部活の引退式の備忘録が残っていた。これ以上埃をかぶるのも不本意なので載せてみる。

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引退してしまった。みんなが笑ってる引退式でよかった。
最後にみんなの前で話したことを書いておこうと思う。



早いもので、もうこの日が来てしまいました。ここで何を喋るかそこそこ考えてはいたのだけど、改めてまとめようとするとたくさんあって困ってしまいますね。

部長の反省というより、「それを踏まえて伝えたいこと」の比重が重くなるように思います。
あらかじめ言っておくんですが、ここでわたしが話すのはあくまで「わたしの思っていること」に過ぎません。それが絶対ではないし、違うなと思ったら忘れてもらってもかまいません。
しばらくお付き合いください。

順当にいきましょう。

わたしが部長職に就いて最初の公演は新歓でした。
とにかく人が足りなくて新入生に来てほしくて、土曜も平日もたくさん公演を打つという試みをしましたね。
人がいなくなってしまっては、部活は成り立ちません。当時から本当に、自分たちの代がいなくなった後のことを考えていたように思います。うちの部活で続けていってくれそうな子が一定数きちんと入ってくれたので、まず一つ、未来への足がかりを残せたかなと思います。これからも、続いていくといいですね。

さまざま変えたシステムもありましたが、大まかな流れは変わらず、基礎練、クラブ体験教室を経て、文化祭の準備に入りました。
稽古の現場はいつも意見が出やすく、みんなで楽しんだこともみんなで疲れきったこともあったけれど、兼ね合いなく劇を作っていけたのではないかと思います。いい現場でした。最後にふさわしかったなと思っています。

とは言いつつも引退時期について、みんなに発表した時があったと思うんだけど。ここで隠居するのか冬の公演まで残るのか、発表する2分前くらいまで考えていたのが事実です。
最終的に文化祭引退を選んだわけですが、いくつか思うところがあって選んだことなので、それにまつわる話をします。

ご存知の通り、×××という人間はお世辞にもしっかりしているとは言えず、部長をしていた間も、基本的に行き当たりばったりな感じになってしまいました。同輩がちゃんとしてくれていたこともあり、なんとかここまでたどり着くことができましたが、その辺はまあ、あまり見習わない方がいいでしょう。
おかげさまで後輩たちがとてもしっかり育ってくれたので、今はもう、僥倖かなと思うことにしています。(ごめんね)
予定管理のこと、基礎を充実させていくこと、そういう話は×××さんや×××さんの話にも出ていたので特に心配はしていません。わたしの用意してきた話が、違う趣旨のものでよかった。

たとえば部長、演出ももちろんそうでしょうが、『上に立つ人間』というのが組織の中では生まれてきます。先輩後輩の関係に限らず、そういうものがないと人をまとめることはできないからです。
人をまとめる時、必要なことは何か。その人自身が信頼のおける人物であることがとても大切になってきます。そのためには『全体を見渡せる』人間になることがなによりも肝心です。

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以下略。ここまでしか残っていなかったが、こんな話をしたらしい。もう我々のもう一つ下の代が引退するような時期になってしまったよ。だからこれはもう1年前に書かれたものなんだ! お前さん。信じられるか? わたしは信じられない。どちらかと言えば、信じたくない。認めてしまえば、あまりに自分に変化がないということにも頷かなくてはならないからだ。余計なことに辟易し続け鬱屈していた頃と何も変わらない。なにも懐かしくない。だってわたしに変化がない。
思い出に取り残され、風化する記憶の中からわたしだけが歩み寄ってくる。他人の顔つきに滲む経験や感情は嫌というほどその値が判るのに、手前で手前を鏡で見てもただ首を傾げることしかできない。虚像のわたしは歪み、奇妙な色になり、向き合うことを拒む。言いたいことは「見るな」なのか「それでも見ろ」なのか、未だに捉えあぐねているけれどできることなら見たくない。鏡や写真の嘘偽りのない映し方が基本的に嫌いだ。どうしてああも笑われている気がするのだろう。誰に馬鹿にされるのが堪えるって過去の自分に決まっている。人間はそう簡単に変わったりしないのか、わたしが怠惰な小娘なのかはわからない。それでも10代後半の1年間をもってして殆ど内面に変化がないとなればぼんやりとした虚無感に苛まれるのも致し方あるまい。
成長は砂のように掌から零れ落ち、拾い集めることはままならない。おおきくなるということは、かなしいことではなかったはずだ。あと2年足らずでハタチかよ、嘘だろ。ハタチにはもっと遠くいてもらわなくちゃ困る。こんな自分がたとえ肩書きだけでも大人と呼ばれてしまっては世も末だろう。末なのか、そうか。なら、仕方ない。